減りゆく檀家とお寺
減りゆく檀家制度とは
日本人は死ぬと、お墓を作り、そこに埋葬するのが一般的でした。 お墓を管理するのがお寺であり、お寺をの運営になくてはならないのが檀家です。
お寺は、檀家の寄付により成り立っている事をご存知でしょうか?
寺院は檀家制度によって、生活を保障されてきたという歴史があります。
檀家制度は江戸時代に幕府が定めた制度です。
キリスト教の広がりを恐れ始めた2代目将軍徳川秀忠が、仏教を国教化しました。
邪宗門(異教)としてキリスト教や不受布施派(ふじゅふせは)などを弾圧するために発足したと言われています。
江戸時代に、日本国民は必ず、どこかの寺の檀家になることを義務づけられました。
これにより、お布施が安定的に入ってくるようになり、寺院は安定して経営ができるようになりました。
しかし、いまの日本はこの制度が崩れかかっています・・・
震災で被災した寺院
東北の震災では、寺や神社が津波にのみ込まれ、多くの家と人命が消えてしまいました。
福島のお寺などは震災から8年以上たった今でも、ほとんど再建ができていません・・・
再建が進まないのは理由があります。
檀家も一緒に被災してしまい、自分の生活を立て直すのに精一杯で、寄付ができない・・・というのが現状のようです。
お金がないので、再建ができない・・・
まずは、自分の生活・・・という事のようです
福島県では原発事故で避難した住民の帰還が進まない事情もあり、県内で22カ所が全壊しました。
仏教の歴史
仏教は長らく神道と共存共栄の道をたどっています。 日本は本来、自然と先祖を崇拝する、自然崇拝の思想でした。
しかし、中国から仏教が入ってきてから、木などで仏をつくり、「偶像崇拝」をするようになりました。
奈良の大仏などは、「仏教」が入ってきたからこそ、建てられたものです。
出典:Deep奈良
日本は長く、神仏習合こそが、日本特有の信仰の形でした。
しかし、幕末の尊王攘夷論の中で国学思想が浸透しました。明治時代になると「神仏分離令」が出されました。
これが、幕末から明治初期にかけて全国的に実施された「廃仏毀釈」と呼ばれる仏教弾圧を引き起こします。
特に全体主義の県民気質が強かった鹿児島では、「仏」が過剰に破壊されたという歴史があります。
宗教は無知な大衆に支持され、支持者を増やします。支持者が多いという事は、権力が集中するという事です。
織田信長は 高野山を焼打ちしています。これは、大衆をひきいている宗教家が、権力を握るのを恐れたからです。
戦国時代から宗教と権力は切ってもきれない関係なのです。
考察
お墓はへり続けていく運命
時代の変化と共に、檀家とお墓は減り続けていく運命にあると思います。江戸時代より、長く続いた檀家制度は、音を立てて壊れつつあります。
供養はお墓などの、お墓や仏像など、モノを拝む時代から、心の中でおがむ時代。おがむ対象を必要としない「自然崇拝」に回帰していくのではないでしょうか?
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