マントラ

 

マントラは様々な問題や出来事に対して、否定性を中和し、肯定的な影響を生み出すと考えられている言葉です。

 

サンスクリット語の「マントラ」は、「考える、思念する」という意味の動詞”Man”に、用具などを表す名詞を作る接尾辞”tra”が付いたものです。「道具としての思考」となりますが、「祝詞、真言、呪文」などと訳されています。

 

マントラはまた、「思考することによって保護されるもの、それすなわちマントラである(mananaat traayate iti mantrah)」と定義されます。

 

マントラは、古代インドのヴェーダの時代において、神とつながるために儀式の中で神官によって唱えられていました。

 

インド最古の文献であるリグヴェーダ聖典(1700BC~1000BC)に初めて文字を使用して

クリシュナ・ドヴァイパヤナ(ヴィャーサ)により編纂されたとされます。

 

 

マントラは、主に自然現象の背後にある大いなる力を神として讃えて詠った詩文です。

アグニ(火)、インドラ(宇宙知性)、ソーマ(意識)、ルドラ(暴風雨)、サラスヴァティ(川)、ヴァーユ(風)、スールャ(太陽)という自然や自然現象から、ヴァーク(言葉)といったものまで神格化しマントラとしています。

また各マントラは決められたチャンダス(韻律)からなっています。26種類の韻律の数があります。

一番基本となるのは、24音節からなるガーヤトリー・チャンダスです。

 

 

マントラ(真言)は「意念の器」

 

「マントラはその意味を分かりながら唱えなければ意味がない」 と教えます。

 

何故なら、 マントラとは、本来、意念を表す「マン」と、器を表す「トラ」の複合語で、「意念の器」の意味だから です。

マントラを 「意味の分からない呪文」として唱える人 も世の中には、沢山います。

 

これは、未開人が 「土着の呪術信仰」 に基づき、色々なおまじないをするのと、同等のレベルだと言ッたら、怒られるでしょうか。
とまれ、真のマントラは、単なるおまじないではありません。霊的な効果を持つ「聖なる言葉」です。

何故なら、 その言葉には「聖なる思念」が盛り込まれている からです。いえいえ、正確に言うならば、順序が逆です。
「聖なる思念が盛り込まれている文言」こそが、「マントラ」と呼ばれる のです。

 

自分の母語のマントラを唱える場合 には、即座にマントラの意味が分かり、マントラの中に盛られている「聖なる思念」が唱える人の意識の中に 「はっきり喚起」 され、聖なる思念が心に形成されます。


だからこそ、 俗悪な意識は、聖なる思念と聖なる祈念に席を譲って退散するしかなく 、

よって、悪想念は雲散霧消し、悪業の生産が停止し、善なるカルマの生産が開始され、悪業は減少し、清められる、という功徳が有るわけです。

ですから、一部の仏教徒や密教徒がやっているように、意味も分からないままに

サンスクリット語のマントラを呪文として唱えるならば、今指摘した霊的効果はほとんど期待できません。

つまり、無駄の多い時間を過ごしている、といえます。(但し、完全に無駄だとまでは言いません。)

 

 

般若心経の大真言 と その和訳の「出来、不出来」
般若心経の最後には、これから最高・最強のマントラを伝授しよう、という前置きがあって、

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」

というマントラが記されています。

日本に仏教が渡来してから約1500年間、この大真言は、日本では  「翻訳不可能のマントラ」  として扱われ、仏道修行者は、そのままの原語で、今もこのマントラを唱え続けています。

勿論、このマントラの意味については、色々な本で、その真意が推測され、色々な翻訳がつけられて来ました。

次の訳は、 紀野一義博士 による有名な和訳です。

 

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」

その他、 ひろさちや氏 は、こう訳しています。

 

「わかった、わかった、ほとけのこころ。 すっかりわかった、ほとけのこころ。  ほとけさま、ありがとう」

また、 阿含宗の桐山管長 は、こう訳しています。

 

「歩めよ、 歩めよ、 ただ歩めよ、 歩めばやがて行きつかん。 すべてを解脱した彼の岸に。 スヴァーハー」

~~~~~~

しかし、心経の大真言を、上記の和訳文で唱えている人を聞いたことがありません。また、このように翻訳した当の翻訳者自身も、そうすべきだとは言わないようです。

恐らく、この程度の和訳では、原語の大真言に到底匹敵するはずもない、との自覚があるのではないでしょうか。

とにかく、上記の日本語文では、 ≪原文の梵語のような強い強い、聖なる思念≫  があんまり現れていない のです。

だからこそ、上記の日本語では到底、マハー・マントラにはならないのです。


ところが、遂に遂に、原語の大真言に勝るとも劣らない ≪日本語訳の大真言への完全な変換≫ という大仕事を、

般若宗が実現しました。これはまことに画期的なことです。

(上記の日本語訳の  「へぬるさ」 と比較 してみて下さい。)

心経のマハー真言についての般若宗の和訳が、どれほど画期的で、 日本仏教界にとって革命的なこと か、そして、

日本人にとってどれほど大いなる恵みであり福音であるか--- 分かる人にはすぐ分かることでしょう。


碧海の「日本語訳の般若心経の大真言」に触れ、これを読み、その意味を理解し、この日本語大真言を実際に唱えてみるならば、この日本語訳がまことに正しいものであり、

 

  「大マントラを今まさに自分は日本語で唱えているのだ」 という実感 がふつふつと湧いて来ることでしょう。

  そればかりではありません。大真言の中に盛られた 「聖なる思念」が、間違いなく

これを唱える者の心にはっきりと喚起され、聖なる法力が働き始めます。

そうして、 大いなる功徳 と、 大いなる神のご加護 と、 神の奇蹟 が現れ始めるのを、きっと実感できることでしょう。

あとは、この 「日本語大真言」を常に唱えて 、この真言に盛られた 聖なる思念と一体となるように心掛けた生活 を送れば良いだけです。そうすれば、おのずと、 その人の人生は、霊的な向上の偉大な足跡となって行く ことでしょう。

 

 

 

■虚空蔵求聞持法

こくうぞう ぐもんじほう 。といわれる修行法です

 

まず最初に一回

 

オン バザラ アラタンノー オン タラク ソワカ

 

と唱えます

それから

 

ノーボー アキャーシャー ギャラバヤオンマリキャー マリボリソワカ

のーぼー あきゃーしゃー ぎゃらばやおんまりきゃー まりぼりそわか

 

と唱えはじめます

ひたすら唱え続けます

目標 100 万回!

 

 

■真言の効果

・記憶力が増加

・目に見えない情報の宝庫から必要だけれども通常なら知りえない情報が引き出される

・頭頂部の気道を開き脳の働きを活性化する

 

とされている真言です

 

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n151270

 

 

■悟りについて

 

http://www.youtube.com/watch?v=F1R4Pt2ckwI

 

 

 

 

■参考文献

http://www.hannya.net/mantra.htm

http://www.hannya.net/index.htm

 

 

 

■アトランティス文明

http://desktop2ch.tv/occult/1320849904/